山田五郎×村上隆のトークイベントに参加。
てな訳で感想をば。
目次
山田五郎×村上隆の対談 in 京都の感想
興味深かった話は以下あたり
- 村上隆が人前に出る時、ユニークな格好/被り物をしている理由
- 西洋と日本の芸術感の違い
- 村上隆の風神雷神図がオリジナルと違う点
- 村上隆が日本で嫌われる理由
村上隆が人前に出る時、被り物をしている理由
欧米では日本人は差別の対象。
被り物をし、アジア人感を薄め、人種偏見がない状態で作品を見てもらいたいから。
単純に、宣伝効果を期待して..や、自身を広告塔としている..といった意味合いで被っていると思っていました。
…が、まさかそういった意図があったとは。
西洋と日本の芸術感の違い
前提として、美術館と写真の登場でアートの立ち位置/評価軸が変わった。
ただ、西洋と日本では意味合いが違う。
—
西洋の美術館とは、市民革命で民衆が勝ち取ったもの。
要は、美術館とは”革命が成功し、自由を象徴するモノ”でもある…と。
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対し、日本。美術館は官が作ったもの。
そして、収蔵品はなるべく人目に触れさせたくない。なぜなら目垢がつくから。
写真の登場でアートの評価軸が変わったのは西洋の話。
それまでは目に映るモノを精密に描くのが評価されてたのに、写真の登場で一変。
その後、印象派が出てくるなど、アートの評価軸はどんどん変化していく。
…が、西洋の場合は、なぜ”そうなったか”ちゃんと理由がある。
つまり時期によって(評価される/流行ってる)表現手法は異なるが”それらすべて”は地続きである。
—
対し日本。
そもそも西洋画を取り入れた理由は、産業で活用するため。
日本で美術という言葉が生まれたのは1870年代。そしてその時代、西洋の美術界を席巻していたのは印象派。
そんな時代に、のちの藝大の指導者”黒田 清輝(くろだ せいき)“が渡仏。
写実って古くね?今イケてるのはコレっしょ!ってことで、印象派の技法を取り入れた作風を日本に持ち込み、評価される。
そして、1890年代”黒田 清輝(くろだ せいき)“が藝大の指導者に就任。
そのため、印象派の技法を取り入れた作風が日本美術のアカデミックに。
つまり、日本美術は西洋美術の”表面だけをなぞった”もの。
だから、(西洋と違い)価値基準があやふや。
だから、日本人のアートを測る指標は”金額の多寡(たか)“になっているのではないか。
村上隆の風神雷神図がオリジナルと違う点
山田氏から以下の質問を村上氏に。
オリジナルと違い横長である理由、また、風神雷神の位置が何故テレコなのか。
以下、村上氏からの回答。
初期のラフ案通り横長とした。(元とは違うが)ライブ感を重視した。
位置がテレコなのは、正確な位置だとしっくりこなかったから。
ちなみにオリジナルの絵はコレ↓
村上隆が日本で嫌われる理由について
以下2点。
- オタク/アート界隈ともに、嫌儲(けんもう)意識が強い。にも関わらず”オタク×アート”で稼いでいるから
- 自分の手で作ってないから
ただ、上記に加え(アートに関して日本人は)戦略すら嫌う…っていうのは驚いたかな。
山田氏も仰ってましたが、絵のみならず戦略も美大で教えるべきかなーと個人的には思います。
村上氏が世界的に評価されている理由がよく分かった対談でした。
なぜなら…
浮世絵/水墨画などの日本の伝統的な絵画、および、日本を代表するカルチャー”漫画/アニメ”、
それらに平面性(二次元性)という共通項を見出し、日本人の表現手法に通底する概念を「スーパーフラット」と称し提唱したから。
あと、かつてのジャポニズムもそうだし、日本の漫画・アニメも世界中で人気があるため、向こうの方(かた)も日本文化には一定馴染みがありそう…
つまり、下地があることも人気を博した要因の一つ…と推察。
村上隆の芸術起業論読むべき。
①アートの歴史を学ぶ
②価値が上がってる人の共通点を学ぶ
③自分にしかない強みを分析する
④作品に落として検証敏腕マーケターだった。
— おーひら:地方×SNSマーケ (@o_hira033024) April 23, 2024
そんな感じで終わりッ!!