映画を見て久々に喰らいました。
その映画の名前は「PERFECT DAYS」。
主役の役所広司さんがカンヌで最優秀男優賞を受賞したことでも話題の映画です。
映画「PERFECT DAYS」の感想
映像美が堪能でき、選曲も最高。でもエグッてくる。一言でまとめるとこんな感じ。
この映画って「足るを知る」「清貧」な生き方・暮らしを描いた作品なんですよね。つまり俗世からの解脱(げだつ)。
映画のキャッチコピー「こんなふうに生きていけたら」にもそれが表れています。
主人公・平山はトイレ清掃員で生計を立て木造アパートの六畳間に暮らす中年の男性。
日々の生活は質素そのもので判で押したような生活。彼はその生活を誰に強いられた訳でもなく自分で選んだ訳です。
でもこの映画の残酷なところは、本人の思惑(おもわく)とは関係なく周りが敗者の烙印を容赦なく押してくる…
もっと言うなら、職業に貴賤(きせん)なし「なんてことはありえない」をちゃんと描いてるんですよね。
この映画の印象的なセリフに「この世界は、ほんとはたくさんの世界がある。つながっているようにみえても、つながっていない世界がある」があります。
ようは俗世と浄土。そして平山は浄土(資本主義社会から降りた)側。
同じ立ち位置の人間としてホームレスが出てくるんですが、彼を認知している人は平山だけ。
他の人からは存在しない(見て見ぬふりする)ものとして描かれています。
平山もその立ち位置。浄土というと聞こえはいいが、要は社会のレールから外れた人。
そのため、清掃中、市井の人達から雑に扱われる描写が何度か出てきます。
極め付きは、妹との久々の再会。
妹は平山とは真逆で資本主義社会の勝ち組。レクサスに乗るなど俗世を満喫してる訳です。
つまり「つながっているようにみえて、つながっていない世界」の住人達。
妹が兄を見る目は冷ややか。曰く…
- 姪が母との会話の中でおじさん(平山)の話を出そうもんなら、話を反らさられる
- 久々に再会したにも関わらず「こんなところに住んでるのね」と言われる
ただ、帰る間際「本当にトイレ掃除をやっているの?」と泣きそうな顔で言われ、「ああ…」と答える。
少しの間(ま)があり、妹を抱きしめる。妹もあらがわないで受け入れる。
このシーンではちょっと泣いてしまいました。
決して仲違いしている訳ではないんですよね。でも、妹には世間体というものがある。
この分(わ)かちがたくも絡み合っている様がやるせなく…心がざわつきました。。
ラスト間近の泣き笑いのシーン。
いろんな解釈があるだろうけど。ぼくは、元のルーティンに帰らざるをえない状況に絶望しているのではないかと。
姪と過ごした日々。彼女が居るだけで周囲の目が明らかに変わる訳です。
小料理屋の元旦那。小洒落た姿を見るに、経済力があるのは明らか。しかも再婚までしている。
軽薄な同僚のセリフ「金がないと恋もできないなんて何なんすか〜」がココで効いてくる訳です。
極め付きは、交差点に居るホームレス。
公園に居る時、つまり職務に従事している時は好意的に見れていたものが、職務から解放され、離れた位置から見る彼は異質なように描かれてました。
つまりトイレ掃除を行っている自分はこういう見え方なのか…を意識したんじゃないかと。
この一連の流れが“ラスト間近の泣き笑い“につながったのではないかなーと感じました。
この映画、人によって受け取り方は様々かなーと思います。
賞賛もあれば、鼻につく…という意見もあるかと。だって、電通+ユニクロがタッグを組んだ映画ですからね。
資本主義の極致企業が「清貧」をテーマにしてるという。
超絶金持ちの芸能人が軽自動車のCMに出る“うすら寒さ“みたいなものを感じる人もいるだろうなーと。
ただ、ちらほら見かける下記の意見。
「こんなふうに生きていけたら」→「じゃあ平山みたいに低賃金で働きボロアパートに住んでみろよ。できねぇだろ!」は違うかと。
…というのも、平山は選択的没落貴族。つまり元々持ってる側の人間なんですよね。
でもそれをポイっと捨ててる。
そのしがらみの無さ・執着の無さが羨ましい…ということではないかと。
個人的には、非常に心に残る映画でした。喰らいすぎて久々にパンフレットまで買っちゃったよ。
そんな感じで。終わりッ!!
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