清水富美加の出家騒動にみる “宗教”とは一体何なのか?

宗教とは何なのか?

ぼくは多くの日本人がそうである様に「無宗教」で、宗教に対しては否定的です。

特に新興宗教に関しては、得体の知れない恐怖感すらあります。

 

関西には、天理教(奈良)・パーフェクトリバティー教団(大阪)・念佛宗(兵庫)などが巨大な宗教施設を建てており、日常の風景に宗教が溶け込んでいます。

 

その風景に慣れてしまい、もはや違和感は感じませんが、他の地域の人が見たらどうなんですかね??

 

例えば、パーフェクトリバティー教団。

 

↓これが住宅地にあるからね。

PLの塔

ぼく
大平和祈念塔。通称「PLの塔」。 寄りで撮ってるから分かりにくいけど、高さは180mと40階建てのマンションと同じ位です。

 

天理教に至っては、天理「市」と街全体が宗教施設。

 

金のなる木

ぼく
どんだけスケールがでかいんだよ…下手な市町村より財源あるんじゃね

 

まぁ、直接被害を被った訳でもないし、そもそも教義内容を知らないので、実際のところはどうだが分かりませんが、得体の知れない恐怖感は拭い去れません。

 

また、最近は芸能界でも宗教問題が取り沙汰されており、教団の名や活動内容がお茶の間に流れる事もしばしば。

 

最近だと「桜田淳子さん」の復帰問題。少し前だと「清水富美加さん」の出家騒動ですね。

大々的に取り上げられているので、知らない人はいない筈。

ぼく
今回の報道で一番びっくりしたのは、桜田淳子さんが「合同結婚式」なる行事で、会ったことも無い人と結婚したこと。

ぼく
…どういうことだってばよ!?

 

その為、最近は嫌でも新興宗教の話題が目につきます・・・

 

が!!!

 

ぶっちゃけどうでもいい。

ぼく
直接被害を被った訳でもないので。

 

じゃあ、何でこんな内容のブログを書こうと思ったのか?

それは、「清水富美加を最も多く取材したライター」が、出家騒動の最中、書かれた記事を見て共感する箇所が多々あったから。

ぼく
何度見ても素晴らしい記事だなと思えます。流石ライター。

 

記事に出てくる登場人物は2人。

カルト2世の同期の友人、そして、幸福の科学に出家した「清水富美加」。

 

ぼくも今までの人生で、”2人” 新興宗教の2世信徒(※)に出会ったことがあります。

親が信者で子供の時から宗教教育を受けた人のこと。
 

境遇が似ている かつ 実際にそういった人たちと接して感じたことが、書かれている内容と全く同じなのでぼくの視点で書いてみたいと思った次第です。

 

ぼくが出会った2世信徒はいずれも素晴らしい人格者だった

1人目は専門学校時代の先輩。2人目は昔勤めていた会社の先輩。

いずれも共通していえるのが、人間的に優れていること。

 

能力的に優れている人間は今まで何人も出会ってきています。

自分より・・・仕事ができる・容姿が良い・頭の回転が早い・コミュニケーション能力が高い etc、etc..

 

ただ、上述の2人はそういうレベルではなく・・・

人間として出来ています。それも尋常じゃ無いレベルで。

ぼく
専門学校時代の先輩は、出会った当時 20歳そこそこだったけど、今振り返ってみても、今のぼくより大人だし、人間的に優れていると思う。

 

この2人に共通しているのは、負の感情を一切表に出さないこと。

ぼく
怒り(憎しみ)・妬み(嫉み)や高慢さ等の負の感情をおくびにも出さない。

 

こういった人はそう簡単にお目にかかれるものではありません。

てか、ぼくは今まで生きてきて、この2人以外会ったことがありません。

 

負の連鎖

皆何かしらの負の感情を持っています。

年齢を重ねると対処法は覚えますが、立ち回りが上手くなっただけで、根本的な内面というものはそうそう変わりません。

 

ぼく
ぼくは負の感情の扱い方がとても下手で、一度ネガティブな感情に囚われたら抜け出すのにかなりの時間を要します。

 

対して・・・

とても感じのいい、人懐っこい子だった。いい子すぎるくらい、いい子だった。

大怪獣まんだら

そう、とてもいい子なんです。それも尋常なく。

人当たりがとても良く、人を悪くいうことを決してしない。我も強くなく、和をとても大切にするので人望は激高。

 

ただ・・・

そんなふうに好ましく感じられていた彼女のパーソナリティが、幸福の科学への信仰に依るものだったとしたら、ほんの少しだが複雑なものを感じざるを得ない。自分はカルトに対して、やや否定的な考えを持っているからだ。

大怪獣まんだら 

↑これ

 

普通に生きてきて、上述に書いた通りの(優れた)人格を形成することはできるんでしょうか?

恐らく難しいのでは…

その為、人格形成の礎を築いたのは、信仰に依るものだと思います。

 

ただ・・・何というかそれを認めたくない自分もいます。それは、ライターも書いている通り新興宗教に対して否定的だから。

 

ルールが違うというのは非常に大きい

つまり理屈じゃないんだ。子供の頃から信者に囲まれて育つというのは、そういうことなんだと思う。彼らにとって、それはよくも悪くもベースとなっている。その他の人々とは、生きていくうえでのルールが違うとでもいおうか。そしてルールが違うだけであって、彼らは悪人でもないし恐ろしくもない。むしろ純粋でいい人のほうが多い気がする。彼もそうだった。しかし、ルールが違うというのは非常に大きい。

大怪獣まんだら

ぼくが昔勤めていた会社の先輩は、1年の大半を海外奉仕(宣教)に当てています。

日本には3〜4ヶ月程帰ってきて、お金を稼ぎ、再び海外へ。

これに関しては、「そういう生き方もあるんだなぁ…英語バリバリ喋れるし、ありっちゃアリだな…」位な感じです。

 

ただ、理解できないルールも多数あり、

一番受け入れがたいのは「輸血拒否」です。

ぼく
他にも誕生日を祝ってはいけない、格闘技禁止など色々ありますが、輸血拒否 程ではない。

 

こうなってくると明確に生きていく上での「ルール」が違うんだなと思わざるを得ません。

超えられない壁

 

いくら・・・

ぼく
事故った時、輸血しないと死ぬやん!!!

と言った所で、聞く耳を持たないでしょう。何故ならそれが彼らにとってベースとなる考え方だから。

 


ぼくが宗教に対して、(出会った2人を通して)思う事は・・・

あれ程優れた人格が形成されるのは素晴らしい。

が!!!

ぼくらとはルールが違う。そしてそれらは、1本の平行線の様に決して交わることはない。


宗教って一体何なんですかね…?

スゲェな!!と思う反面、受け入れがたい考えもある。善なのか悪なのか。

無宗教のぼくには分からないことだらけです。